初代女将・堀越ハツが土浦町中城919番地(現在地)に「割烹 霞月楼」を開業。「霞月楼」の名前は、本家であり、先輩格の「割烹 日新楼」の「日」に対し、霞ヶ浦に映る「月」を表した。
航空隊副長時代、新潟出身で関東に身寄りのなかった山本五十六に、正雄・満寿子夫妻はその当時から親代わりのように接してきた。十余年の後、連合艦隊司令長官となった五十六から一通の手紙が届く。昭和16年12月5日付けのその手紙は、太平洋戦争へ突入する真珠湾攻撃直前に旗艦長門から発信されたものであった。